小浜市の諸君、恥ずかしいのでもう少し活動を自粛してくれたまへ。
アメリカ大統領選でオバマ氏が当選した。当選確定後、聴衆の前で語った「勝利宣言」の要旨が日経新聞に掲載されていたのだが、これがもう、ハリウッド映画のように完璧な文章で笑ってしまう。遠く離れた異国の地、満員電車に揺られながら読んだ私ですら情景を思い浮かべ体温が熱くなるくらいだから、その日その時、リアルタイムで時間を共有した支持者の興奮は容易に想像できる。
これが日本であればどうだろう。仮に一国の首長を決める機会が国民に委ねられたとしても、熱狂は1年ともたないはずだし、TVに映るアメリカ人のようにボードを掲げ、陶酔した目で支持者を見つめるあの風景は起こり得ないはずだ。政治への関心が薄く当事者意識に乏しい国民性もあるだろうが、話を飛躍させれば、宗教観の違いとも結構密接な関係がある気がする。
日本人の大半は本質的に無神論者で、絶対的な何かを「信じる(まぁこれも語弊はありますが)」文化を持ち得ていない。アメリカは違う。最後の最後、全てを超えたところに存在する神の存在を純粋に信じている。
良い意味では、信じるものがある強さ。悪い意味では、「すがる」ものがある依存と弱さ。このご時世だからなのか、TV局の取材に対して、有権者がオバマに「すがる」ようなコメントが多いことは気になった。
国民性や気質、文化に依らず、最後の最後、自らの環境を変化させる要因は自分自身。何かにすがることで、自己啓発力やら対応力やらを衰えさせたくはないなぁ、、と、遠い異国の熱狂的な選挙戦を見て考えてみる。
オバマの宣言は、人間の弱い部分を突く表面的な包容力に満ちている。絶対的な大国としての地位をアメリカが失った今、アメリカ国民のすがるものがオバマ「個人」にならなければいいなぁ、と軽々しくも感じた次第。ご参考までに、オバマ氏の宣言を残しておきます。
【勝利宣言要旨】
米国は全てが可能な場なのだということを、世の中にまだ疑っている人がいるだろうか。民主主義の力に疑問を抱いている人がまだいるのだとしたら、今夜が君たちへの答えだ。
我々は単なる個人の集合でも、赤い州(共和党)と青い州(民主党)の集合でもなく、今でもいつまでも合衆国なのだ。米国に変革の時が到来した。
マケイン上院議員から素晴らしく礼儀正しい電話をもらった。愛する国のために、想像を絶するような犠牲に耐え抜いてきた人物だ。マケイン氏とペイリン氏が成し遂げたことを祝福したい。この国との約束を果たすために、彼等と協力することを楽しみにしている。
この勝利は君たちのものだ。だがこうして勝利を祝っている間にも、我々は二つの戦争、一世紀に一度の最悪の金融危機のさなかにある。イラクの砂漠で目覚める勇敢な米国人がいれば、アフガニスタンの山々で我々のために命を危険にさらす人々がいる。
前途は長く、登る坂は険しい。一年や一期では到達できないかもしれないが、目標の地点に必ず辿り着くと、私は君たちに約束する。
米国のリーダーシップは新しい夜明けを迎えた。世界を破壊しようとする者は打ち倒す。平和と安定を求める者は支えよう。米国の真の力は軍事力や資金力ではなく、我々の理想が持つ永遠の力だ。民主主義、自由、機会、希望は米国の気質だ。
次の世紀まで生きる子供たちが目にする変革はどんなものになるだろうか。アメリカン・ドリームを取り戻すために永遠なる信念に応えていきたい。我々はできる(Yes, We Can.×8回)!
コメント